ライターの神谷です。
現在は英国在住で哲学を学んでいるという立場から、「社会の進歩」というテーマについて少し考えてみました。
「社会の進歩」という概念とは?
イギリスでは、「社会の進歩」という概念が広く一般化しています。
といっても、私はあくまで大学生に過ぎず、従ってイギリス人の中の実は三分の一程度を占めるに過ぎない大卒以上の高学歴層としか接したことがありませんから、高等教育を受けない人々がどう考えているのかは正直よくわかりません。
とはいえ、大卒以上の普通のイギリス人(特に白人の)というのは、社会というのは進歩するものだし進歩するべきだと疑いもなく信じている人が多いという印象を受けます。
例えば、イギリスではなるべく肉を食べないことは道徳的に良いことだと思われています。
実際に肉食を完全に絶ってしまう人は少数派ですが、部分的に挑戦する人は意外と多く、実際スーパーやレストランには日本では考えられないほど多種多様の「ベジタリアンフード」が存在します。
これに関して私は大学内で何度もイギリス人や他のヨーロッパ人と激論を交わしました。
彼らの意見は例えば以下のようなものです。
「人間にだけ基本的人権があるのはおかしい。
基本的人権が絶対不可侵の権利であることは否定しないが、人間以外の動物に基本的人権を与えてはいけないという主張に合理的根拠はない。
動物にも人間と同様に痛みを感じる能力があるのだから、人間の自由は他の人間だけでなく動物をも苦しめない範囲内に制限されるべきだ。
社会は道徳的により優れた方へと進歩していくべきなのだから、いまだに肉食をやめないのは遅れている」
要するに、
- 「基本的人権」の考えを「人間」だけにとどめなければならない必然性がない
- 動物を苦しめる食文化よりも、動物を苦しめない食文化の方が道徳的に優れている
- 社会は常に道徳的により優れた方向に進歩していくべきだ
という三つの理由によってベジタリアンは非ベジタリアンよりも倫理的に優れているという結論になるということらしいです。
非ベジタリアンの私としては首肯しかねる部分が多く結構議論になってしまうのでもうイギリス人とはこの話はしないようにしていますが、ここで注目したいのは「社会は道徳的により優れた方向へ進歩すべき」という考えです。
「進歩」というイメージは皆違う
日本で「社会の進歩」というと、真っ先に浮かぶのはやはり科学技術により生活環境の改善ではないでしょうか?
「アメリカは日本よりもさらに進んでいる」だとか、「日本は世界でも一、二を争う先進国だ」というような発言はどこにいてもよく耳にしますが、ここで想定されている「進歩」あるいは「先進性」の具体的内容は文脈によるとはいえ一般的には科学技術の高度さのことを指しているのだと考えるのが普通ではないかと思います。
ところがイギリス、あるいはヨーロッパではそうではありません。
ヨーロッパ人が「進んでいる」あるいは「遅れている」と言う時、そこで想定されているのはむしろ社会制度や倫理道徳の次元での「進歩性」のことを言っているのです。
従ってヨーロッパ人は日本やアメリカがヨーロッパ的な意味で「進んだ」国だとは思っていません。
文化的・社会的・政治的な部分ではより「リベラル」なヨーロッパの方が進んでいて、より「倫理的に正しい」と考える人は少なくありません。
「進歩」「遅れ」の定義とはなにか?
正直に言って、科学技術の日常生活への浸透度という意味では日本は様々な面でアメリカ以上に進歩していて、場合によっては世界一と言っていいレベルだと思います。
実際これまで東京に住んでいた都会人がヨーロッパに来ると、パリやロンドンに来たとしても「なんて不便で田舎っぽいんだ」と思ってしまう人が多いのではないでしょうか。
少なくとも私はそう思いました。
私は名古屋出身なのですが、慶應大に在学していた時に東京に一年暮らしてみて、やっぱり「名古屋は田舎だったんだなぁ」と実感したのですが、パリに来ると「いや、これは名古屋より田舎じゃないか?」と感じましたし、ロンドンでさえ「まあ名古屋よりは上でも東京の足元にも及ばないな」と思いました。
電車は頻繁に遅れるし、その割に切符代は東京では考えられないほど高いし、ロンドンには「Oysterカード」がありますがパリには日本の「suica」のようなものがないので毎回切符を買わなきゃいけないし、かと思えば無人の駅では改札を勝手にジャンプして通っちゃってる怪しげな若者集団もいるし、夕方の5時にもなれば大抵の店は閉まっちゃうし、24時間営業のコンビニなんてほとんど皆無だし……という感じで、挙げればキリがないほど不便です。
パリやロンドンでこれですから、イギリスとフランスという二つの二大先進国の内部においてでさえ、もっと田舎に行けば恐らく日本国内のどの過疎地域よりも不便なところが山ほどあると思います。つまり、全体としては日常生活の便利さという点では圧倒的に日本の方がヨーロッパより「進んでいる」んです。
にも関わらずヨーロッパ人はおろかそもそも当の日本人さえ今でも「日本はヨーロッパに比べて遅れている」という意識を持っている人が多い気がします。
ですが、この「遅れ」とは何なのでしょうか?
社会の男性中心主義あるいは女性差別でしょうか?
LGBTの権利が法的に認められていない点でしょうか?
移民が少ない点でしょうか?菜食主義が全く流行していない点でしょうか?
それとも雇用関係における労働者の立場の不利さが改善されていない点でしょうか?
あるいは年齢が一年上なだけで「敬語」を使わなければならないなどの「上下関係」の文化でしょうか?
ざっとすぐに思いつくことを挙げてみましたが、この全てが本当に改善すべき、あるいは改善が望まれているのでしょうか。
私自身は、ヨーロッパに来てみて確かに上述のような「違い」が日本と西洋の間にはっきりと存在しているということを再確認しましたが、だからと言って日本が西洋に対して「遅れている」だとか西洋が日本よりも「優れている」という点に関してはむしろこれまで以上に疑問を抱くようになりました。
言うまでもなくヨーロッパには良いところもたくさんありますが、やはり完全な社会などありません。
問題はいかに完全に近くかということではなく、どのような不完全性を受け入れるか、という点だという気がします。
そういう意味で、社会は不完全性から完全性へ向けて「進歩」していくのではなく、ただその時々の人々の集合的嗜好によって「変化」していくに過ぎないのではないかというのが今の私の考えです。
ヨーロッパばかりが優れていて日本はダメな国だと嘆くよりも、もっと日本の良さとダメさの両方に着眼して本当に変えていくべき点はどこなのかを慎重に明らかにしていくことが必要なのではないでしょうか。
いかに完全に近づくかということではなく、どのような不完全性を受け入れるか。
自分という存在に置き換えてみてもそうかもしれない。
そもそも僕らが定義する「完全」って?
問いは深まるばかりで、答えは自分の中で定義したものでいいんじゃないか。
おそらくもっと俯瞰してみている存在がなにかあると思う。
んー、わからへんからとりあえず楽しもう(楽観)
佐藤 駿 Facebook Twitter
デザインファーム【THE APP BASE株式会社】代表取締役/コワーキングスペース【DEN】管理人/未来の選択肢を共有するWEBマガジン【THINK FUTURE】編集長/欲しいものはつくろう、自分の手で。DIY写真.レシピ共有アプリ【HANDIY】運営
1984年9月27日生まれ。中央工学校建築設計科卒。3姉妹のパパ。
建築業界(現場監督、設計事務所等)→東日本大震災で価値感が大きく変わり、場所に捉われない働き方ができるIT業界へ転身。
起業と同時に東京から長野へUターン。長野でコワーキングスペースDENを始め、地方発の起業家を増やし小さな経済圏を構築、挑戦する人を増やす。
未来の選択肢を共有するWEBマガジン THINK FUTUREで新しいライフスタイルを提供。
スマートフォンアプリのデザインやWEBサービスのUI、UXデザインを主に手がけ、ひいては建築の意匠設計・地域デザイン等、「広義のデザイン(問題を捉える正しい表現を掴む)」と「視覚のデザイン(問題を解決するUI、UXデザイン)」の両面からアプローチするデザインファーム。